パレスチナだより

2016年8月~2017年8月、パレスチナ・ヨルダンに留学していた女子大生です。留学生活のあれこれ、思ったことをつらつら書いていきます。

留学の終わり

帰国してから1か月が経とうとしているところですが、帰国する飛行機の中で書いた日記が出てきたので、この時の気持ちを忘れないようにここに記しておきます。

 

8/10 留学の終わり

日本を去ってから359日目、遂にヨルダンを去ります。

 

ここ最近はずっとそわそわしていました。

こちらでの生活が終わってしまう名残惜しさ、そして一年ぶりに日本に帰ることへの高揚感。それが交互に来たり混ざったり。帰国した後のことも考えるようになり、自分はどこにいるのか分からないような。そんなまま気が付いたら出国日を迎えていました。

 

朝は七時前に自然に目が覚めて、布団の洗濯、そして終わってなかった荷造り。前日までアラビア語の授業を受けていたのでそのノートや教材、そして前日に洋服を洗ったのでそれらを仕分け、詰めて、やっとスーツケースがいっぱいに。ここで「あー私帰るんだ」と実感し始めます。そして朝ごはんを食べた後の部屋の掃除は、今までの留学生活をひとつづつ思い出して、「この一年間で、自分はずいぶん遠いところに来てしまった」と泣いてしまいました。

同じアパートに住んでいた日本人の友人たちにお別れをし(彼女たちはその後学校があったので、これがヨルダンで会う最後でした)タクシーに乗ってお菓子屋さん、ナフィーセへ。マアムールをお土産に買い、クナーフェを食べ収め、ダウンタウンの本屋で本を探し…結局ほしい本は見つからなかったのですが。

家に着くと、アパート出発時間の1時間半前。急いで荷造りをし、冷蔵庫の中を掃除し、大家さんにお別れを言い…最後は友人たちがお見送りをしてくれました。何人かはエアポートバス乗り場までついてきてくれて。そこでまた一息ついて、しかも友人たちがプレゼントをくれて。「あー本当に終わりなんだ」と寂しくなりました。

バスに乗り空港へ着き、今はドバイ行きの飛行機の中でこの日記を書いています。

 

私の留学生活は半年がパレスチナ、半年がヨルダンでした。当初は1年間パレスチナにいるものと思っていたので、この半分を占めるヨルダン生活は「思いがけずできた」機会だったのです。パレスチナに戻れなくなって始まったヨルダン生活の初期、正直に言うと心の中はくすんでました。なんでヨルダンにいるんだ私?そんな疑問が頭をよぎろうとするときに何とか自分に「ポジティブになれ」って言い聞かせてやってました。その言霊も少しは聞いたのかもしれないけれど、それよりも何よりも人との縁に恵まれたおかげで「自分が100%心から選んだ場所ではないけど、ここでもできることがある」と思うことができました。ヨルダンでは大学ではなく語学学校に通い、時間があるぶんはホステルでの住み込み生活、日本の大学生のシリア難民調査、日本の看護師さんのイラク難民訪問への同行、パレスチナ難民キャンプでの折り紙教室など…座学以外のことにもたくさんのことにチャレンジしました。こちらで働く日本人にもたくさん話を聞くようにしました。「アラビア語を勉強している自分は世間でどのような役割を果たせるのか」を知りたかったからです。自分のアイデンティティ探しのようなものかもしれません。日本にいるときは「なんでアラビア語を勉強してるの?」と散々聞かれ、それに対してスパッと言える答えを持てなかった自分が嫌だったのです。

 

色々無理をしたこともあったし、「挑戦するぞ」という気持ちと、その結果・リスクを考えることのバランスがうまくいかなかったなあと思うこともあります。なかなか器用にはできないと感じました。でも不器用でも、結果はキレイな形じゃなくても、挑戦してみたあとは学ぶことばかりでした。その観点から、挑戦したこと自体に後悔はないと言えます。外大生たるもの「留学中はもっとガツガツ勉強だけに集中するべき」と思ったこともあるし、そういう留学生活もあったのだなあと思いますが、語学以外に学んだことが、これからの人生の大きな糧になるのかなと予感しています。

 

「日本への新たなスタートだと思って、トビタって来てください」―これは母からかけられた言葉。留学の終わりが近づくにつれて、寂しさと名残惜しさに押しつぶされそうになっていた私ですが、この言葉は私に、前を向かせてくれます。今は新たなスタートに向けて、ワクワクでいっぱいです。