ヨルダンにいます
私に直接会ったことがある人は既にご存知だと思いますが、
実は今年の1月にパレスチナを出てヨルダン・アンマンに滞在しています。
イスラエルビザ(私がいたのはパレスチナだけど、国境の管理はイスラエルなので)が切れて一度隣国ヨルダンに出国し、
再入国を試みたところイスラエルから入国を認められませんでした。
その訳や経緯は話すと長くなるのですが、
要は私が「パレスチナの大学で勉強しているから」です。
パレスチナには学生ビザが存在しません。
国境の管理・ビザの管理はイスラエルが行なっています。
そもそも外国人がパレスチナに行くことを良く思わないイスラエルは」
「パレスチナの大学で勉強しよう」
という外国人に学生ビザを発行しません。
パレスチナの大学で勉強したい場合3ヶ月の観光ビザをもらい、
継続したければ一度出国し、再入国してまた新たな観光ビザをもらって…
しかし再入国をしているうちに怪しまれ入国を拒否されてしまうこともあります。
「パレスチナだからしょうがない、こうするしかない」
確かに現実はそうだけど、当たり前のようにそう思ってしまうこと、
それ自体が
「パレスチナ/イスラエルの持つ問題が長年解決されない複雑な問題であること」
を示しているように感じます。
昨年、アメリカという大国では新たな大統領が生まれました。
これから世界は変わっていくでしょう。
世の中がおかしい方向に進みそうになった時、それを嘆くだけでなく、
意思表示をすること、どうすればいいかを考えること、なにかの形で行動に移すこと。
平均寿命から考えると私もあと60年くらいは生きるのだろうと思いますが、
自分が生きる社会を人任せにしていてはもうどうにもならないのだと思います。
…なーんてことを今回の経験を通して考えたりしました。
こんな出来事があったために今はヨルダン・アンマンに留学場所を移し、
それに加えて、ここヨルダンにはシリア難民が沢山いるので
難民問題についても考えさせられています。
今後ですが、幸運にも入国拒否のスタンプが押されていないので
パレスチナに戻ることも考えています。
こればかりはインシャアッラー(神が望めば)だけど!
。
留学で異国の地に来て、様々な学歴・キャリアをお持ちの
人生の先輩に沢山お会いして、自分の未熟さに直面し、
「こんなヒヨコの経験や考えなんてシェアしたところで…」
と発信するのを恐れていました。
でもヒヨコの目線でも見えることは沢山あって、全てが自分にとって新鮮です。
そういう出来事を忘れたくないという気持ち、そして
私を通して誰か一人でもこの地域に興味をもってくれたら、
なにか思ってもらえることがあったら、
新聞やテレビだけでは見えない何かが見えるといってくれるのなら…
自己満足でしかないかもしれませんが、
これからも発信していくことを続けたいと思い、今日久しぶりに文章を書きました。
これからマイペースにぼちぼち書いていこうと思います。
皆さんの意見、知りたいこともぜひ教えてほしいです。
中東ってどうしても危険なイメージが先行してしまう地域だけど、
そのイメージに隠れてしまっているところが面白くて魅力的です。
ではでは。