ハイファで会った、ホロコースト生存者2世との会話
イスラエル・ハイファで泊まっていたゲストハウスにて。
その日私はナザレに移動する予定で、チェックアウトを済ませてレセプションのソファで調べ物をしていました。
そこにやってきたのは宿泊客の男性。
「管理人見た?」と私に聞いてきました。
あいにく管理人は不在だったので、彼が戻るまで私はその男性とおしゃべりすることに。
君、何人?日本人か!僕はポーランドから来たよ。
どうしてイスラエルに滞在してるの?
私はアラビア語を勉強していて、前回はパレスチナ、西岸地区に留学していたんだ。
今回はただの観光だけど…
そんなたわいのない会話の中、「あなたも観光?」そう私が聞くと、思いがけない答えが返ってきました。
「実は僕、ポーランドに住んでると言ってもポーランド人じゃないんだよね。
ホロコースト生存2世である彼は、語り部としてホロコーストに関する講演をするためにイスラエルに来たと言います。
彼に思い切って質問してみました。
「僕はユダヤ人だから、西岸地区やガザ地区も併せてユダヤ人国家になるべきだって言うのが普通なのかもしれないね。でも僕自身は2国家案がベストだと思っている。
今の現状を見て。ここハイファやアッコ、ナザレってイスラエル領なのにまだアラブ人が居座っているでしょ。標識もヘブライ語とアラビア語が混ざっているし、ここの管理人もおそらくアラブ人だよね。アラブ人であっても彼らはイスラエル国籍を与えられて、西岸やガザにいる人たちよりいい暮らしをしているんでしょ?
イスラエルはユダヤ人のための、パレスチナはアラブ人のための国ってきちんと区別する必要があるんじゃないかな。
…あ、もうこんな時間か!君これからナザレ行くって言ってたのに引き留めてごめん。
アラビア語の勉強がんばってね、応援してるよ。でも今度はぜひヘブライ語も勉強してみてね。」
結局管理人は戻ってこなかったけど、彼は用事があったらしく、そういって颯爽と部屋に戻っていきました。
人生で初めて”ホロコースト生存者”という人に会った私。
パレスチナ問題を考えながらも、パレスチナ人やそのサポーターと常に一緒にいて
パレスチナ側からしかその問題を見れていなかったなあ。
そう思うと同時に、この会話でパレスチナ人とユダヤ人の考えや主張のギャップの大きさを感じてむなしい気分になりました。
「パレスチナは外国人が介入しすぎてるんじゃないかなあ。
双方がいないところで第三者が議論をして、何が解決されるの?」
これはヨルダンで出会った、シリア難民支援に携わる方の言葉。
本当にその通りだなあ。
私はアラビア語から入って、パレスチナ・アラブの視点からパレスチナのことを見ていた。反対側の視点から見てみたい。そう思ってなるべくいろんな情報を得ようとしても、やっぱり自分の知識は完全にパレスチナに偏っている。
ポーランド人の彼に会ってそれを確信しました。イスラエル人・ユダヤ人の声を聞けなかった。現地の声はパレスチナからしか聞けていない。
そしていくら声を聞いても、私がいくらパレスチナ問題を語っても、何も生産されないんじゃないか?
イスラエル、パレスチナに行くことが困難になった今、それは克服できないんじゃないか?
今でもその言葉は心に引っかかっているし、これからずっと考えていくと思います。
結局自分はここに留学して何がしたかったのか、もやもやは消えません。