パレスチナだより

2016年8月~2017年8月、パレスチナ・ヨルダンに留学していた女子大生です。留学生活のあれこれ、思ったことをつらつら書いていきます。

ヨルダンにいます

 

私に直接会ったことがある人は既にご存知だと思いますが、

実は今年の1月にパレスチナを出てヨルダン・アンマンに滞在しています。

イスラエルビザ(私がいたのはパレスチナだけど、国境の管理はイスラエルなので)が切れて一度隣国ヨルダンに出国し、

再入国を試みたところイスラエルから入国を認められませんでした。

その訳や経緯は話すと長くなるのですが、

要は私がパレスチナの大学で勉強しているから」です。

 

パレスチナには学生ビザが存在しません。

国境の管理・ビザの管理はイスラエルが行なっています。

そもそも外国人がパレスチナに行くことを良く思わないイスラエルは」

パレスチナの大学で勉強しよう」

という外国人に学生ビザを発行しません。

パレスチナの大学で勉強したい場合3ヶ月の観光ビザをもらい、

継続したければ一度出国し、再入国してまた新たな観光ビザをもらって…

しかし再入国をしているうちに怪しまれ入国を拒否されてしまうこともあります。

パレスチナだからしょうがない、こうするしかない」

確かに現実はそうだけど、当たり前のようにそう思ってしまうこと、

それ自体が

パレスチナ/イスラエルの持つ問題が長年解決されない複雑な問題であること」

を示しているように感じます。

 

昨年、アメリカという大国では新たな大統領が生まれました。

これから世界は変わっていくでしょう。

世の中がおかしい方向に進みそうになった時、それを嘆くだけでなく、

意思表示をすること、どうすればいいかを考えること、なにかの形で行動に移すこと。

平均寿命から考えると私もあと60年くらいは生きるのだろうと思いますが、

自分が生きる社会を人任せにしていてはもうどうにもならないのだと思います。

 

…なーんてことを今回の経験を通して考えたりしました。

 

こんな出来事があったために今はヨルダン・アンマンに留学場所を移し、

引き続きアラビア語パレスチナのことを勉強しています。

それに加えて、ここヨルダンにはシリア難民が沢山いるので

難民問題についても考えさせられています。

 

今後ですが、幸運にも入国拒否のスタンプが押されていないので

パレスチナに戻ることも考えています。

こればかりはインシャアッラー(神が望めば)だけど!

 。

留学で異国の地に来て、様々な学歴・キャリアをお持ちの

人生の先輩に沢山お会いして、自分の未熟さに直面し、

「こんなヒヨコの経験や考えなんてシェアしたところで…」

と発信するのを恐れていました。

 

でもヒヨコの目線でも見えることは沢山あって、全てが自分にとって新鮮です。

そういう出来事を忘れたくないという気持ち、そして

私を通して誰か一人でもこの地域に興味をもってくれたら、

なにか思ってもらえることがあったら、

新聞やテレビだけでは見えない何かが見えるといってくれるのなら…

自己満足でしかないかもしれませんが、

これからも発信していくことを続けたいと思い、今日久しぶりに文章を書きました。

 

これからマイペースにぼちぼち書いていこうと思います。

皆さんの意見、知りたいこともぜひ教えてほしいです。

中東ってどうしても危険なイメージが先行してしまう地域だけど、

そのイメージに隠れてしまっているところが面白くて魅力的です。

 

ではでは。

パレスチナの日本人であること(Day 121)

今週は雨。雨を通り越して雹も降ったりと嵐のような天気でした。

夏は全く雨降らなかったのに、冬になり雨が降るパレスチナです。

ちなみにこっちの人はあまり傘を差しません。なぜだ…

 

さて休暇が始まってかれこれ3週間ほど経ちますが、

このところはラマッラーの公立図書館でボランティアをしたり

先輩に連れられて初めてジェニン(パレスチナの北のまち)に行ったり。

その一方で、

38℃越えの熱を出して倒れたり

ビザの手続きでバタバタしたりしていました。

この何週間かが今までの留学生活の中で一番苦しかった気がします。

やっと今いろんなことが落ち着いた感じです。

 

大変なことがあっても自分の気持ちは自分次第、

常に前向きでいることを常に心掛けたいなあと思いました。あと体調管理は怠らない!

 

さて、今回は図書館でのボランティアや

前回の投稿で紹介した日本文化イベントに参加して思ったことを書こうと思います。

 

大学でInternationalな学生たちと授業を受けているとき、

先生が「じゃこれ英語に訳して」と言って彼らがスラっと英語に訳しているのを見て

私はよく「日本人がパレスチナで勉強する意味って何なんだろう」と感じていました。

 

「現地の情報を知る・伝える」のであれば

彼らのような英語話者がアラビア語から英語に訳したものを読めばいいわけで、

必要だったらそれを日本語に訳せばいい。

 

他の留学生たちに知識量や能力で勝てない、と思うときに

「私みたいなただの日本人にできることってなんだ」

「日本人がここにいる意味ってなんだ」

とずっと思っていました。

 

そんな中、図書館から

「日本語の本が寄贈されたが、

日本語を理解できる人がいなくてどんな内容の本だか分からないので解読してほしい」

という話を受けました。

 

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その本たちは安倍首相夫人から寄贈されたもので、

主に日本の芸術や風景など、文化を紹介するための本たちです。

 

 

本の名前、著者名、発行年、内容などをシートに英語で記入していく作業。

私にとっては何てことない簡単な作業でしたが、終わった後に

「本当にありがとう。私たちは日本語が分からないから助かった。」

と痛く感謝され、そのときに

「あ、これは自分が日本人だからできたことなんだ」

と気づきました。

 

日本文化紹介のイベントでは、

片道1時間かけてナブルスからやってきた日本大好きな3人の女の子に出会ったり、

空手教室に通う可愛い子供たちに出会ったり、

折り紙をパレスチナで教える2人組に出会ったり。

 

パレスチナにも日本のことに興味を持っている人がこんなにもいるのか!」

と本当に驚かされます。

留学前の私が想像していた以上に、パレスチナでは”日本”に出会うことが多いです。

 

日本人である自分がパレスチナにいる意義

はっきりとしたものはまだ見つけられていません。

「何のためにアラビア語を勉強しているんだっけ」と分からなくなることもあります。

 

高校生の頃に外語祭に行って「あ、この大学に通いたい」と思った5年前。

その時は何語科にするかなんて全く考えてなかったけれど、

世界史で見た、ヨーロッパとは違った異国情緒と

耳にしたことのないアラブ人の名前に惹かれ

それまで世界史が嫌いだった私が初めて世界史を好きになったのは

イスラーム史を勉強していた時。

それから模試の志望校の欄には「東京外国語大学アラビア語専攻」

と書くようになりましたが、

決定的なのは

日本人ジャーナリスト山本美香さんの死、

そして彼女のドキュメンタリーを偶然テレビで見たことでした。

シリア内戦下に生活する子どもたちや女性たちの姿を見て、

「紛争下であっても私たちと同じように生活を営んでいる人たちがいる」

ということに気づきました。

「中東=テロ、紛争」という偏見に隠れてしまう部分を知りたい。

メディアの報道だけでは分からないことを知りたい。

自分の力でもっと世界のことを知りたい。

 

これが、私が今の大学そして専攻を選んだ理由。

人々がどうしても持ってしまう偏見、

それによって遮断されてしまう向こう側を

もっと多くの人に見て知ってほしい。

 

私を通じてそれが可能ならば。

そう思って今パレスチナにいるのかもしれません。

 

なんだか真面目になってしまいましたが、

私が一番伝えたいのは

パレスチナってめっちゃいいところ!」

ということです。

「さぞかし大変な生活をしているだろう」とか

「治安は大丈夫なのか」とか

思っている人も多いと思いますが、

ホスピタリティに溢れていて、料理はおいしくて、

観光するところもたくさん!

難しいことはひとまずおいて置いて、

パレスチナ=紛争地」だけではないその先を

もっとたくさんの人に知ってもらいたいなあと思います。

 

写真不精もそろそろ卒業したい…

 

【今日の一枚】

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ルームメートがいなくなって家に一人になってしまうので

別のアパートに引っ越しました!

(それっぽい写真がこれないのはご勘弁)

パレスチナ人女子2人とルームシェアです。アラビア語漬けだ〜

休みのはじまり(Day101)

外大生は外語祭お疲れ様でした!

フェイスブックにあがる写真に

ひたすら「いいね!」を付けている今日この頃です。

 

東京は雪が降ったらしいですね。

こっちも冬らしくなってきました。

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朝夜は家が石造りで冷え切っているのでベッドから出るのが辛いです。

今もベットに潜り、指を悴ませながらカタカタしてます。

こんなんでこの先やってけるのか…笑

こっちで買ったもこもこのスリッパ履いて、

生姜湯飲んで乗り切ります。

 

そう、ついに今週でFall Semesterが終わり!

2か月間学校お休みです。わー長い。

ということで休みにやりたいこと考えてみました。

 

①メディ翻を最低8本

メディ翻っていうのはうちの大学の

「日本語で読む中東メディア(http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html)」

というプロジェクトで、現地の新聞を日本語に翻訳しています。

週一本訳せば8本訳せる!ということでガツガツ翻訳します。

今日久しぶりにやったけどきれいな日本語にするのってやっぱり難しいネ…

 

②国内旅行

まだ行けていない北のほう(ジェニン・ナザレ・ハイファ・アッカなど)に

足を運びます。

 

パレスチナ/イスラエル関係の本を貪り読む

せっかくまとまった時間があるので、

授業で習ったことや聞いたことを整理するためにも

暇な時間を読書に当てます。

 

④お家再訪

大学の友達、スークで出会った家族、先輩に紹介してもらった家族

お家に招いてくれて「また来てね!」と言ってくれたお家に

また遊びに行きます。

 

その他、翻訳ボランティアやアルバイ

ワークキャンプ、家族のパレスチナ訪問等

予定はあるので、今後の2ヶ月もあっという間だろうなあ。

機会を無駄にせず、できるだけ多くの経験をしたいと思います。

具体性はないけれど、パレスチナ留学も残り2/3。

気になることには首をどんどん突っ込んでいこう。

 

あとたくさん喋る!

留学の目的を改めて考えてみたけれど、

日常生活で不自由なくアラビア語を喋れる/聞き取れるようになるのが一番の目的です。

 

 

さてこっちでお世話になった日本人の皆さんのほとんどが

12月中に帰国されてしまいます。

今までそばに誰かが必ずいて、頼りまくって生きていたけれど

これからはそうはいかないです。強くなります。

 

あ、来月の中旬に今の家を出て、

パレスチナ人と一緒に住むことに決めました。

学校がない間、アラビア語を使ういい機会になるかな。

賑やかな生活になりそうです。

 

寒さに負けてられないね。休暇も思う存分楽しみます!

 

【今日の1枚】

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 ラマッラー在住日本人のラーメンパーティにお呼ばれしました。

西岸で生麺を茹でる光景を見られるとは思わなかった…感激…

「開発コンサルタント」という職種の方々で、

JICAの元で働いているそうです。

エルサレムはともかく、

ラマッラーにもこんなに沢山日本人がいるのか!と驚きでした。

皆さん海外勤務が長い方で、お話も新鮮で面白かった。

 

留学中、外国人だけでなく日本人との素敵な出会いも沢山あります。

日本人が比較的少ない国だからこそかもしれませんが。

 

 

 

 

パレスチナと日本の文化交流イベントに行ってきました(Day 94)

先日私が住むラマッラーで

"We are Tomodachi:Japan-Palestine"

というイベントが開催されました。

 

インターナショナル・カルチャーエクスチェンジ・ジャパン(ICEJ)が企画、

日本政府・JICAと共催した大規模なイベントです。

日本のメディアでも紹介されてます!

www3.nhk.or.jp

www.asahi.com

 

イベントの様子を写真と共にダイジェストでお送りします。

 

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ラマッラ―の空手道場の子供たちによるパフォーマンス

彼らの真剣な空手、そして「オス!」という掛け声。

終始微笑ましかったです。

 

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日本人とパレスチナ人による剣道実演

パレスチナ人の方は日本への留学経験があるそう。

 

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パレスチナの民族衣装ファッションショー 

これ本当に素敵だった…!町によって衣装が違うのです。

 

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これはエルサレムだったかな。

このモデルさんのお母さんが隣の席に座っていて、

「携帯の充電切れちゃったから写真撮ってあとで送って!」

と言われたので写真たくさん撮りました。いやー美しい…

 

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日本人声楽家・ピアニストと日本舞踊のコラボ

「ふるさと」や「花は咲く」など、日本の歌の生演奏に合わせた日本舞踊のパフォーマンス。隣のパレスチナ人の女の子が終始「綺麗…素敵…」と見とれていました。

 

そのほかにも

・日本映画上映

安倍昭恵首相夫人からのビデオメッセージ(!)

・UNRWA(United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East:パレスチナ難民救済事業機関)の学校の子供たちによるダブケパフォーマンス

 など盛りだくさん。

 

ホールの外には

大使館やJICA、日本のNGOパレスチナの折り紙アーティストなどが

それぞれブースを出していました。

 

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日本について書かれたアラビア語の冊子。

これを訳して、アラビア語で日本のことどう紹介するのか勉強しよう…

 

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”Origami Palestine”によるブース。

子どもたちは今や、教えずとも自分たちで作品を作れるのだそうです。

 

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ミニチュア折り紙のピアス!かわいい。

 

 

日本にいるとなかなか馴染みのないパレスチナ

パレスチナ問題」や「ガザの紛争」など負のイメージが強いと思います。

 

しかしパレスチナで3ヶ月生活していて、

伝統的な踊り、きめ細やかな刺繍、

長閑な風景、新鮮なオリーブをはじめとする料理など、

もっとたくさんの人に知ってほしい!

と思える素敵な魅力に沢山出会いました。

 

逆にパレスチナから見た日本はどうでしょう。

 

「日本は第二次世界大戦で原爆を落とされ、でもそれに負けず驚異的な成長を遂げた素晴らしい国だ。私たちもそれを見習うべき。」

 

エジプトに旅行した時も感じたことですが、

このような日本へのイメージは少なからずあります。

 

あとはひたすらアニメ!マンガ!かな。

ビルゼイト大学の学生にも日本のアニメが大好きな人はたくさんいます。

ビルゼイト大学には日本語を勉強する学科がないにも関わらず、

日本語を勉強している/日本に興味がある学生が多いなあというのが私の感想。

 

そんな中、今回のような「日本の伝統文化に触れる」イベントというのは

新鮮なものであったのではないでしょうか。

 

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”A nation stays alive when its culture stays alive."

「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」

 

これはアフガニスタン国立博物館の入り口に掲げられている言葉で、

今年の春、東京にて開催された「黄金のアフガニスタン展」で私が出会った言葉です。

 

―1979年のソ連の軍事介入とそれに続く内戦で、博物館は甚大な被害を受けたが

館員たちは国の宝である文化財を、国の存続のために命がけで守りぬいた―

 

展覧会でこの言葉に出会い

そのバックグラウンドを知り

彼らが守り抜いたその宝たちを見ていると

見知らぬ土地のものでありながらも、こみ上げてくるものがありました。

 

私自身クラシック音楽が大好きな母に育てられ、

小さいころから様々な音楽に触れる機会がありました。

残念なことに大学に入ってからは音楽から遠ざかった生活をしているのですが…

離れてみるとより一層、音楽に触れている時の豊かさを実感します。

 

芸術を含め、文化は直接人の命に関わるものではないかもしれない。

しかし人の命、そして人生を豊かにする糧である。

 

東京で知ったアフガニスタンを、

そしてそれが教えてくれた”文化”の意義を、

パレスチナで思い出しました。

 

明日死んでもいいや~と思える毎日を(Day 92)

昨日は2日ぶりの大学でした。

レベル1のクラスは月曜日にテストを終えているため

今日教室の前を通り、中に誰もいないのを見た時に

「あ、もうFall Semester終わっちゃうんだ」

と急に寂しくなりました。

 

今学期私がとっていたのはフスハー3とアンミーヤ2のクラス。

フスハーのクラスの5人は次のsemesterも取る予定だし

アンミーヤのクラスのうち2人はこっちで働いているので

「PASのsemesterは取らないけどパレスチナにはいるよ!」

という感じで、学期の終わりが近づいてもお別れ感はほとんどありません。

 

しかし、クラスメートの中には

3ヶ月の観光ビザしかもらえないために

次の学期が始まるまでの2か月間祖国に帰る人もいます。

そしてSpring Semesterが始まる1月末に、

もう一度パレスチナに戻れることは100%保証されている訳ではありません。

それはその時の入国審査次第。

 

「来学期どうせ会えるだろう」と思っていましたが、

彼女たちの帰国日が近づき

「出国審査が憂鬱だよ…」という話を聞く度に

当たり前ではあるけれど

「”絶対”は存在しない」

ということに気づかされます。

 

学期が始まってすぐ、

想像外の授業の難しさとネイティブが喋る英語にびびってばかりだった頃。

「西洋人怖い…絶対仲良くなれない…」なんて思ってたりもしました。

3か月も経つと愛着が湧くものだなあ。

(完全に英語が聞き取れるようになったわけではないけど笑)

 

またここでみんなに再会できますように。

 

入れ違いでイタリアに留学していた友人に、私が留学するときに言われた言葉。

 

「明日死んでもいいや~って思えるような毎日を過ごしてね。

 私はそう思って生きてたよ」

 

日々をなんとなく生きていて忘れかけていたこの言葉をふと思い出しました。

1年間で凄まじい成長を遂げた友人の言葉だから、はっとさせられます。

 

【今日の一枚】

ラマッラ―の高級スーパーMax Marでついにキッコーマンの醤油を発見!

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19シェケル=600円弱…高い…

 

 

パレスチナの独立記念日(Day 90)

今日は大学お休みです。

というものパレスチナ独立記念日だからです。

・・・パレスチナ独立記念日パレスチナって独立してるの?

という疑問が湧きますよね。

 

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