パレスチナだより

2016年8月~2017年8月、パレスチナ・ヨルダンに留学していた女子大生です。留学生活のあれこれ、思ったことをつらつら書いていきます。

「留学大図鑑」に掲載されました

留学が終わってから早4ヶ月。

日本の生活にもすっかり戻って

留学中の新鮮な気持ちを失いかけていましたが、

久しぶりにブログを読み返して忘れていたそのころの気持ちを思い出しつつあります。

今もモヤモヤしてばっかりだけど、前向いて歩いていこう。

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アンマンからマダバ バスでの行き方

アンマンからマダバへバスで行ってきました。

地球の歩き方にはムジャンマア・ジュヌーブまたはムジャンマア・ラガダーンから行く方法しか載っていませんが、私は別の方法で行きましたので記録。

 

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パレスチナ・ヨルダン 留学に持っていくもの②

何だかんだ、あと三週間で留学生活が終わります。

留学開始直後に「留学に持っていくもの」についてブログを書いたのですが、

留学終了を目前に控えて、結局留学に何が必要だったか記録しようと思った次第です。

 

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6月20日、世界難民の日のこと

https://www.instagram.com/p/BVnFO5yjTd2/

 

昨日、6月20日。

ヨルダンのシリア難民キャンプを題材にしたドキュメンタリー映画”Zaatari Djinn”(2016)の上映会にて思いがけずプレゼントをもらいました。

アラブ菓子の小さな箱詰めで、蓋には”Made with Refugees”のシールが。

「そっか、今日は世界難民の日だった」と思い出しました。

 

”6/20は世界難民の日

 

難民の記念日?この言葉に前から違和感を感じていたので調べてみました。

元々アフリカ難民条約が発行された日で、それにちなんだ記念日なんですね。

残念ながら、難民の日だから難民に何か良いことが起きるわけでも、状況が変わるわけでもないけれど…

この日は世界各地で難民に関する催し物が開催されたりするそうで、この上映会もその1つ。

6月20日をきっかけに彼ら・その周り世界が抱える問題を「知ること」に意味があるんだろうな、と自分の中で納得づけます。

 

ヨルダンにいると「難民」という言葉は切っても切れないものです。

国民の過半数は、中東戦争により難民となったパレスチナ人、そしてその子孫。

その他にもイラク戦争から逃れてきたイラク人、

内戦から逃れてきたシリア人、イエメン人、スーダン人…

「難民受け入れ国」というと欧米諸国が頭に浮かぶけれど、ヨルダンも立派な難民受け入れ国。

今回の上映会でも、上映前のスピーチでそのことが触れられていました。

 

日本にいた時は「難民」という存在を身近に感じられなかったけれど、

ここにくると難民が特別な存在じゃない普通の人間で

元から難民であったわけではないことを改めて思い知ります。

 

以前アンマンに暮らすシリア難民の家庭訪問をする機会がありました。

彼らの口からはいかに彼らが祖国を愛しているのかが語られ

ヨルダンが彼らの祖国ではないこと、ヨルダンで生活することが100%彼らの意志ではないことを思い知ります。

 

自分が難民になったら?日本に一生帰ることができなくなったら?

自分の人生はどう変わるのでしょう。

 

この映画はザアタリ難民キャンプで、子供たちがどのように新しい人生を歩んでいくのかに焦点が当てられています。

彼らが難民としての生活に順応して新たな土地になじんでいく姿は一見前向きに思えるけれど、私には非常に悲しく感じました。

 

ヨルダンで出会ったパレスチナ人の中で、こんな種類の人がいます。

例えヨルダンで生まれ、ヨルダン国籍を持ち、パレスチナに一度も行ったことがないけれど自分はパレスチナ人だ、と強く主張する人。

血統的にパレスチナ人だけど自分はヨルダンで生まれ、自分の祖国はヨルダンだと言う人。

前者の話も聞いていて辛いけれど、私は後者の話を聞いているとき、さらにやるせなさを感じます。

 

自分のルーツであるはずの国に戻れないって何なんだろう?

 

彼ら自身が満足しているなら私がつべこべ言う筋合いはないはず、なのですが。

ハイファで会った、ホロコースト生存者2世との会話

イスラエル・ハイファで泊まっていたゲストハウスにて。

 

その日私はナザレに移動する予定で、チェックアウトを済ませてレセプションのソファで調べ物をしていました。

そこにやってきたのは宿泊客の男性。

「管理人見た?」と私に聞いてきました。

あいにく管理人は不在だったので、彼が戻るまで私はその男性とおしゃべりすることに。

 

君、何人?日本人か!僕はポーランドから来たよ。

どうしてイスラエルに滞在してるの?

私はアラビア語を勉強していて、前回はパレスチナ、西岸地区に留学していたんだ。

今回はただの観光だけど…

 

そんなたわいのない会話の中、「あなたも観光?」そう私が聞くと、思いがけない答えが返ってきました。

 

「実は僕、ポーランドに住んでると言ってもポーランド人じゃないんだよね。

僕はユダヤ人。両親はホロコースト生存者なんだ。」

 

ホロコースト生存2世である彼は、語り部としてホロコーストに関する講演をするためにイスラエルに来たと言います。 

彼に思い切って質問してみました。

 

パレスチナイスラエルのこの状況についてどう思う?」

 

「僕はユダヤ人だから、西岸地区やガザ地区も併せてユダヤ人国家になるべきだって言うのが普通なのかもしれないね。でも僕自身は2国家案がベストだと思っている。

今の現状を見て。ここハイファやアッコ、ナザレってイスラエル領なのにまだアラブ人が居座っているでしょ。標識もヘブライ語アラビア語が混ざっているし、ここの管理人もおそらくアラブ人だよね。アラブ人であっても彼らはイスラエル国籍を与えられて、西岸やガザにいる人たちよりいい暮らしをしているんでしょ?

イスラエルユダヤ人のための、パレスチナはアラブ人のための国ってきちんと区別する必要があるんじゃないかな。

 

…あ、もうこんな時間か!君これからナザレ行くって言ってたのに引き留めてごめん。

アラビア語の勉強がんばってね、応援してるよ。でも今度はぜひヘブライ語も勉強してみてね。」

 

結局管理人は戻ってこなかったけど、彼は用事があったらしく、そういって颯爽と部屋に戻っていきました。

 

人生で初めて”ホロコースト生存者”という人に会った私。

パレスチナ問題を考えながらも、パレスチナ人やそのサポーターと常に一緒にいて

パレスチナ側からしかその問題を見れていなかったなあ。

そう思うと同時に、この会話でパレスチナ人とユダヤ人の考えや主張のギャップの大きさを感じてむなしい気分になりました。

 

パレスチナは外国人が介入しすぎてるんじゃないかなあ。

双方がいないところで第三者が議論をして、何が解決されるの?」

これはヨルダンで出会った、シリア難民支援に携わる方の言葉。

本当にその通りだなあ。

私はアラビア語から入って、パレスチナ・アラブの視点からパレスチナのことを見ていた。反対側の視点から見てみたい。そう思ってなるべくいろんな情報を得ようとしても、やっぱり自分の知識は完全にパレスチナに偏っている。

ポーランド人の彼に会ってそれを確信しました。イスラエル人・ユダヤ人の声を聞けなかった。現地の声はパレスチナからしか聞けていない。

 

そしていくら声を聞いても、私がいくらパレスチナ問題を語っても、何も生産されないんじゃないか?

イスラエルパレスチナに行くことが困難になった今、それは克服できないんじゃないか?

 

今でもその言葉は心に引っかかっているし、これからずっと考えていくと思います。

 

結局自分はここに留学して何がしたかったのか、もやもやは消えません。

日本はいい国?

こっちではよく「チャイナ!」「ニーハオ!」と声をかけらえる。

そこで「違うよ日本だよ!」と言うとだいたいこう返される。

 

「日本から来たんだ!日本はいい国だよね!僕日本人大好き!」

そう言われたときに、100%ピュアな気持ちで「うん!日本はいい国だよ!」と言えないなあといつも思う。

 

「日本のこと好き?パレスチナ/ヨルダンと日本だったらどっちが好き?」

そう言われたときに、100%ピュアな気持ちで「日本が好き!」と言えないなあといつも思う。どちらかというと「嫌い」と思うことが多くなったと感じる。

 

もちろん日本食は大好きだし、日本の古い町並みとかお寺とか、桜、花火、紅葉、こたつ…こっちに来て恋しくなることもたくさんあった。スリは少ないし、観光するにはとっても楽しい場所、まさに“異文化”という感じだと思うし、自分が外国人だったら日本に観光したいなって思う。日本に観光に来ている外国人の反応を見ているだけでも、新鮮でとても面白い。文化的には最高の国。

 

じゃあ何で「日本のこと大好き!」って言えなくなっちゃったんだろう。

 

「日本人は頭が良い民族だ。」

留学中、「自分の頭で考える」勉強をいかにしてこなかったか、思い知る機会が沢山あった。

レポート、プレゼンなんて本格的に始めたのは大学生になってから。それを、アメリカで高校入学までを過ごした友人に話すと「そうなの?!私小学生のときから授業でプレゼンやってたよ」と驚かれた。大学受験期、あれだけ勉強に時間を割いていたけれど、答えのある問題を解くために、覚えるばかりの勉強だった。

あるアメリカ人に言われた。「日本、いつか行ってみたいんだよね!でも日本人って英語喋れないんでしょ?だから観光に行っても困ると思う。それで、行こうって気になれないの」

同じ年代、同じ非英語圏の子でも英語力で負けてるって思うことが沢山あった。英語の授業で、留学生同士の議論に追いつけないこともたくさんあった。もちろん自分の努力不足なのだけど、そういえば日本の英語の授業で、文法や読みは沢山やったけど、英語で文章を書く・話す機会ってあったっけ?

 

「日本人は優しい。穏やかだ。」

通学中の電車の中でアラビア語を勉強していた女子大生に「なんでアラビア語なんて勉強してるんだ!テロリストの言語だろうが」と言ってしまう人がいる国が、本当に「やさしくて穏やかな」国なのだろうか。大学の友達が経験したこの出来事をアラブ人に話したら、「それ本当に日本なの?ただ言語だけでそう判断する人がいるの?信じられない」と悲しんでいた。

 

「日本は戦争であんなに破壊されたのに、70年でここまで成長してすごい」

戦後70年で日本は驚くべき成長を遂げ、世界の中でも「先進国」と呼ばれる国になった。敗戦の面影はもはや残っていない。

「俺らは国を追い出されて70年経つけど、状況は何ら変わらないや。その間に日本はこんなに成長してるのにさ!」これはとあるパレスチナ人の言葉。

しかしここ20年、日本の経済はほとんど成長していないらしい。6年前には中国にGDPを追い越された。この成長が、過去の栄光になってしまうのでしょうか。過去の栄光に縋り付いて、変わりゆく現状、新たに生まれた問題を無視してしまうのでしょうか。

 

「日本と言えば日本車でしょ!トヨタニッサン!」

ヨルダンで見る車は残念ながら、トヨタよりもヒュンダイ・KIAのが多いです。

 

「日本では女性がここよりも権利を持っているでしょう?」

世界の男女平等ランキングの中で、日本が何位だか知っていますか。

2016年の調査では、調査対象144カ国のうち111位だそうです。

2015年に比べて後退しているらしいです。

同じ正規雇用であっても、女性の賃金は男性の7割弱、だそうです。

…だそうですって書いてるけれど全部自分の国のこと。

 

「日本は平和な国だ。」

1945年、広島・長崎に原爆が投下され、降伏宣言をしてから72年が経とうとしている。その日からこれまで、日本は一度も戦争をしてこなかった。このことについては純粋にすごいなあと思うし、ここは日本人として誇りを持てるところ。

でも「安保法案の可決」という動きがあったり、最近では「北朝鮮との関係緊張」が話題になったり。日本が外交において、アメリカについづいして自国のスタンスを取らないようなところもあまり好きになれない。

戦争が何も生まないことは、過去の歴史から日本が良く知っているはず。その点で日本は説得力を持っているのではないのかなあ。すぐそばで争い事が起こっているヨルダンで生活していると、やるせない気持ちになります。

 

この文章見て「そんなに日本が嫌いなら日本出ていけば?」って思う人もいると思うし、私も前までは「日本なんて出てやる」って思っていた。

でも自分が日本人であることに誇りを持てるようになりたいし、自分が自分の国のことを好きになれるようになりたい、今ではそう思います。

今年の3月に発表された世界幸福度ランキングで、日本は155カ国中51位。先進国の中では非常に低い。もしかしたら、「日本のことを好きになれない日本人」は少なくないのかもしれません。

 

留学を通じて会った仲間の中で「日本のこういうところを変えたい!」という思いを持っている人が沢山いて、

そしてそれを「ただのガキが言ってること」と思うのではなく、話をきいて支えてくれる大人がいることは、更に嬉しいことでした。

こういう人たちが力を合わせれば、きっと日本は、世の中は、良くなっていくんだろうなあ。

 

こういう話をしたときに「意識高い~」ってちょっと馬鹿にした感じで言ってくる人がいること、自分の夢を話した時に鼻で笑ってくる人がいるようなところも「日本って居心地悪いなあ」って思うところです。意識低いよりは高いほうがいいと思うけどネ。

 

留学でアラブに来てから、日本を離れてから、日本のことを日本にいたときよりも考えるようになりました。ここで考えたこと、置いて行かずに日本に持ち帰るのが留学生の役目かなあと勝手に思っています。

 

おわり